2013年05月23日
第20回 映画「八月の鯨」
25年前の大ヒット作品のニュープリント版、当時はいまひとつぼんやりとした感動だったのだけれどそれでも詳細におぼえている場面もあって今回やっぱりの感動がもっと。
沖に鯨が! 鯨がきた! そうそう呼び合って連れだって岸へといそぐ足はどれもかろやか、一瞬でも遅れまいと跳ねまわりじゃれ合う少女たちはモノクロ画面でもじゅうぶん可愛く華やかで奪い合う双眼鏡にかすかにうつる潮吹きさながら高らかに人生を謳歌して。海はおだやか、そしてそのままなにも変わらず、青みだけが増して。
「リビー!」呼んでいるのは? 呼ばれてでてくるのは鯨に夢中になっていた少女!
声はしわがれ腰はまがって髪はしろく肌にはたくさんの皺がきざまれて、外見はたしかに人生の終章にさしかかっていることを露呈してしまっているけれど気持ちはまだ娘のまま、でなければどうしてあんな愛らしいワンピースやカーディガン、きれいに髪をとかして、つつましやかなディナーだって! それでもからだのあちこちの不自由は自覚しないわけにはいかなくて。
ベティ・デイヴィス・アイの、おおきな瞳がいまでは閉じられることがおおくて、だからなのか、気づきたくない考えたくないことをまっすぐ言葉にしてしまうのにまわりは辟易、でも誰かに指摘されるよりまえに自分でかなしい現実をあげつらうのは、期待して失望させられる切なさを味わいたくないから、そんなやるせない覚悟の気配が、ひっそり、古い手紙をまさぐる指が、いじらしくて。
月光での物語が、言葉でだけなのに、まるでその場で繰り広げられているかのように生き生きと、そして荘厳、可憐な花嫁はいつまでも変わらず色香もそのまま清純さも。
何をしてるの? かならず返事をして、髪をとかしてやりながら、愚痴をきいてやりながら、最愛のひとによびかけることをささえにしている妹の、やりきれなさがつい爆発することはあっても、姉妹はどこか深いところでつながっている、寂しさをわけあっているから、そして鯨をほんとうは待っているのを、再び来るのを願っているのを知っているから。
ちいさな島を吹きわたる風に麦わら帽子からのぞく髪をなびかせながらの足どりの、おぼつかなさが、いたわしいけれどでも、鯨みたさに駆けまわった昔がおもわれて。かなわないことはあっても、人生をともに暮らした姉妹が寄り添えばなにかが見えているのでは、だからきっと見晴らし窓だって無駄ではなくて、沖に鯨をみつけようと岸にいつまでも並んで探して、「わかるはずないわ」きっとそれはちいさな希望の光。
終盤の大写し、場内すすり泣きはほんとうにきもちから自然にあふれての。
ロードショー当時の再現パンフレットに! シナリオ採録!
八月の鯨 1987年アメリカ リンゼイ・アンダーソン監督作品
公式サイト http://www.alcine-terran.com/hachigatu/
Posted by eしずおかコラム at 12:00