2013年02月21日
第14回 映画 「塀の中のジュリアス・シーザー」
初っ端からドギモ抜かれます、ブルータスそのひとの苦悩かなしみが、画面いっぱい、大きく艶やかな瞳は揺らぎながらも爛々とかがやき、まるで彼の心情がそのまままっすぐ覗き込めるかのよう、たとえそれが演劇の一場面なのだと承知していても、繰り広げられる悲劇的な終幕にはこの作品の構成うんぬんのことなどすっかり忘れて、引き込まれ、けれど大喝采のあとにつづく静かな現実は、いかにも冷え冷えと、こちらも不意にわれに返るここちにさせられて、「重警備棟」・・・・・・しばし唖然。
ローマ郊外の刑務所でじっさいにおこなわれている演劇実習、その演目発表から華々しい本番の舞台まで、カメラが追っているのは、これほどまでに純粋に情熱的になにかに打ち込むことができるのか、と驚嘆さえしてしまう演技者たちの、日常。オーディションからもう目は釘づけ、なぜこんなに豹変できるのか、なぜこんなに本気なのか、いぶかる気持ちすらつい抱いてしまう、そして配役発表の場での選抜された者たちの誇らしげな表情、だからそこにかぶさる犯罪歴、受刑の内容が、やはりどうしても信じられない、ちぐはぐにおもえて。
けれど、刑務所内のあらゆるところで稽古に打ち込む彼らをみつめるうち、人間のもつ業の深さ、層の厚み、多面性が、全身で表現される圧倒的な迫力をまえに問答無用につたわってきて、目前に展開されている物語は、はたして台本をなぞったものに過ぎないのか、そうではなく今まさに彼らじしんに起きているドラマなのか果ては過去にじっさいに彼らじしんが体験した事件だったのかもしくはその総体であったりするのか、だっていつのまにか刑務所ぜんたいが、シーザーやブルータスの愛憎の舞台、古代ローマそのものに映ってきて、気づいてみれば収監者みんながまごうことなきローマ市民! その臨場感といったらもはや稽古なんてものではない。
単なる事実を追っているだけでは味わえないようなドラマチックさは、さすがに純粋なドキュメンタリーの手法とはいささかおもえず、あまりの完成度の高さに疑念を抱かざるをえないほど、いくらなんでも見応えあり過ぎ、ほんとにほんとに? 不思議な気分にもなったのだけれど、やはり脚本はあったらしく、けれど、たしかにそれは生き物のようにしだいにかたちを変えていった気配はあって。モノクロの稽古シーンのリアリティが、むしろ本番の舞台を凌駕しそうな。
いったいどうしてこんな映画が、と興味を惹かれること必至、パンフレットを買い求めると、これまた文字びっしりの、内容の濃さ、古代ローマとレビッビア刑務所の一体感の成り立ちが。
ラスト、本番を終えての静かな嘆きの真実が、胸に突き刺さって。
塀の中のジュリアス・シーザー
2012年イタリア パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督作品
公式サイト http://heinonakano-c.com/
Posted by eしずおかコラム at 12:00